桜花税理士法人
インド視察記②

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2025.12.17

インド視察記②

インド視察記ナレッジ公認会計士

先日、研修会がありましたが、諸先輩方と協働させていただきましたことを感謝します。学びの機会に参加させていただき、またそこでも当HPをご覧いただけてるとのお声も頂き(!)、僭越ながら、インド視察記を続けさせていただきたく考えています。

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インド視察の最中、私は「混沌の中に秩序がある」という発見を得たことを前回述べました。その気づきと並行して、象徴的な出来事がありました。

既にインドでビジネスを展開している会計士の方々との懇親会の席でのことでした。会場はインドでは比較的ハイソなホテルだったのですが、そこでウエイターが皿を落として割ってしまいました。しかし、そのウエイターは謝りませんでした。日本の感覚からすれば、非常に特殊な光景であり、私は素朴な疑問として、在留会員の方に「謝らないんですね」と尋ねました。そこで返ってきた答えは、「インド人は謝らないからね」というものでした。

・・・後になって分かったのですが、これは単なる性格やマナーの違いではなく、カルマの考え方に基づく行動だということでした。私は宗教学者でも歴史学者でもないので、カルマを「業」として理解してきました。つまり、皿を割ったのは自分の責任であり、自業自得である以上、謝罪する。これは日本人として極めて自然な思考です。一方、インドでは「皿を割った」という事象にカルマを残さない、次に持ち越さない、だから謝らない、という思考プロセスが存在すると考えました。正直なところ、最初は理解できなかったのですが、いつまでもその出来事に囚われず、その場で断ち切って前に進むという点において、極めて合理的な思考だと捉え直すことができました。

カルマを連鎖させない。その場で断ち切り、先に進む。少なくとも「過去の失敗や柵にいつまでも拘ることは違うのではないか」という思考に行き着いたわけです。自業自得という概念を拡大解釈すると、この考え方に至るのかもしれないな、と。

その後、コンダクターのインド人の方から、別の興味深い話を聞きました。

「上司が『綺麗にしておくといい』と言っても、インド人はそれを理解せず、掃除をしない」という話です。また、「大丈夫だから頑張って」「頑張ります」といった日本的な励ましの会話は、インド人には意味を持たないとも聞きました。

これらの話とカルマの理解が重なり、私は経営者として重要な気づきを得ました。ー曖昧さは、理解されない。そして、曖昧さは、善意であっても機能しない。時には、曖昧を排除し、明確に示すこと。それは冷たさではなく、合理性であり、前に進むための条件なのだと。

インド人と日本人は、相互補完的な関係にあると、後に日本人大使館で話を伺いました。それは、曖昧さを残す日本人と、カルマに捉われず、未来志向のインド人は、全く異なる考え方により、ビジネスパートナーとしてうまく行くように思うという意味であると解釈を私なりにしました。曖昧さを残すことも、日本では合理的であり、合理的であるからこそ日本人はその手段を取ります。しかし、所謂インドでいうカルマを残さないためにも、時には的確且つ余地を残さない物言いも必要なのだなと、気づきの多い機会でした。冷たい人と言われないような、的確且つ余地を残さない物言いが、経営者には必要なのではないか、と私は考えました。

つづく

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